本文へ移動

KRKと京都の歴史 ~花の御所・東陣・西陣・聚楽第~

花の御所ほど近くの近畿レントゲン工業社本社

近畿レントゲン工業社は、1946年の創業以来、京都・上京の地でX線装置の開発・製造に取り組んできました。

当社の本社がある室町上立売周辺は、京都の歴史を語るうえで大変ゆかりの深い場所です。
すぐ近くには、室町幕府の中心であった足利将軍家の邸宅「室町第」がありました。
花の御所とも呼ばれたこの場所は、室町時代の政治と文化の中心地であり、
足利義満の時代には華やかな建物や庭園が広がっていたと伝えられています。

また、この一帯は応仁の乱とも深い関わりがあります。
応仁の乱では、東軍の大将である細川勝元が、花の御所周辺に陣を置きました。
現在の当社本社は、その東軍ゆかりの地にほど近い場所にあります。

聚楽第にほど近い、近畿レントゲン工業社テクニカルセンター

一方、当社のテクニカルセンターがある大宮通元誓願寺周辺は、西軍ゆかりの地に近い場所です。
応仁の乱で西軍の大将となった山名宗全は、幕府の西側に本陣を構えました。
このことが、現在も地名として残る「西陣」の由来とされています。
テクニカルセンターは、山名宗全邸宅跡にも近く、まさに西陣の歴史を感じられる地域にあります。

さらに、テクニカルセンター周辺は、豊臣秀吉が京都に築いた聚楽第とも関わりのある一帯です。
聚楽第は、秀吉が京都に造営した壮大な城郭風の邸宅で、当時は政治・儀礼・文化の中心として重要な役割を果たしました。

倉庫前は応仁の乱の戦場に!

また、当社の倉庫は、本社とテクニカルセンターの中間に位置し、小川児童公園の目の前にあります。
小川児童公園の周辺には、かつて「小川(こかわ)」と呼ばれる川が流れていました。
応仁の乱では、この小川を挟んで東軍と西軍が対峙し、激しい戦いが繰り広げられたとされています。
現在の静かな公園からは想像しにくいですが、このあたりもまた、京都の大きな歴史の舞台でした。

上京の歴史とともに歩む、近畿レントゲン工業社

本社は東軍ゆかりの地に近く、テクニカルセンターは西軍ゆかりの地に近い。
さらに、その中間にある倉庫の前には、東西両軍が向かい合った小川ゆかりの公園がある。

こうして見ると、KRKの拠点は、京都の歴史の流れの中に自然と置かれているようにも感じます。

私たちは、長い歴史を持つ京都の地で、X線という目に見えない技術を扱いながら、医療・産業・研究の現場を支えてきました。
古いものを大切にしながら、新しい技術を生み出していくこと。それは、歴史と革新が共存する京都というまちで事業を続ける当社らしさでもあります。

これからも近畿レントゲン工業社は、京都・上京の地に根ざしながら、X線技術をより深く、より広く活かしていきます。
TOPへ戻る